Monday 30 March 2015

letter.22 こちら側へ



目が覚めたのは、朝7時。
ベランダへ行き 空を見ると、空を覆っていた分厚い雲がなくなっていた。

お湯を沸かして、コーヒーを淹れる。そして、海と通りを見下ろした。晴れると島の印象がかなり違ってみえる。そして、日曜日の昨日よりも随分と賑やか。私の居る所は、マリナグランデ港と呼ばれる場所で3つの港のうち最も人や車の通りが多く、船の行き来も多い。
漁の準備をしている人も見ることができた。その様子を見ながら朝ごはんを食べて、洗濯物を干して、外に出た。



:



そうして再びやって来た、コッリチェッラ浜を見渡せる丘。




今日は晴れているので、じっくりと景色を見ることが出来る。
雑誌で見ていた水色の家や、ピンクの家、どれもが変わらずそこにあった。

:


いくつもの階段を下りて、浜へ。












シーズン前で、レストランはほとんど開店していなかった。
それでも、何度も見ていた小さなキリストのいるピンクの家も、あの白い家も見つけてしまった。

ひとつひとつ、雑誌の写真を指でなぞりながら家々を見る。端から端まで、実在しているのを確かめるように。

そうしてひと通り確かめて、ベンチに座る。もう、本当に感嘆のため息しか出なかった。そして、じわじわと嬉しさが込み上げてきた。たまらなくなって、胸がぎゅーっとなる。

私は今、間違いなく、ずっと夢みていたあの写真の"こちら側"に居るのだ。


H.

2015.2.23 mon
Marina di Corricella procida

Saturday 28 March 2015

letter.21 就寝前の間違え探し



昨日今日と残念ながら、太陽に恵まれなかった。そして"シーズンオフ"と言われる季節と分かっていたけれど、思っていたよりもずっと寒い。天気予報を見ると、今週来週とわりと雨の日が続くそうで。

それでも、朝ごはん兼お昼ごはんを食べて少しだけ島を散策。


:


日曜日とあって、ほとんどのお店が閉まっている。静かだと思いきや、狭い道を車が勢い良く走り去ってゆく。そこはナポリとあまり変わらない。でもそのせいか、ほとんどの車体の端は傷が付いていたり、へこんでいたりする。












小さな島なので、島の端から端まで歩いても時間はそんなにかからない。

歩いてコッリチェッラと呼ばれる丘へ。二川幸夫氏の撮った数枚の写真のうちの1枚はここから撮ったもの。
そうして、私もそこからの景色を数枚撮る。けれど、すぐにまたポツポツと雨が降ってきたので、足早に帰宅。



:



この晩、ベットの上で雑誌と自分の撮った写真とを比べてみた。間違い探しをするように。

その時、私は「え、」と思わず声を出してしまった。驚くべきことにその景色がほとんど変わっていなかったのだ。もちろん、多少の劣化や逆に綺麗になった部分もあったけれど、その形状のほとんどは変わっていなかった。
そんなことって、信じられる?私は何度も自問した。


明日は晴れる。
もう1度、見に行こう。




H.

2015.2.22
アパートのベットサイドにて



Friday 27 March 2015

letter.20 私を救ったもの



なんてことない地元の本屋さんで私は多くのものと出会った。
その1つがプローチダという小さな島だった。

:

それは中学3年生の時のことで、もう10年以上も前になる。

今にも雨が降りだしそうな暗い夕方、確か買い物か何かのついでにいつもの本屋さんへ立ち寄ったのだと思う。2階建てで、その2階にはデザインやアートに関する本が並べられていて、私の地元にしては品揃えが良く大きなお店だった。(残念ながら現在は漫画コーナーになってしまいデザイン書コーナーは縮小されてしまった)

そして、そこにはカフェも設置されていて、コーヒーの香りと食器の重なる音がとても心地良かった。

:

その日もひと通りタイトルを見てまわろうと、まずは建築書コーナーへ向かった。そこで1番に目に入ったのが今月の新刊として目立つ所に置かれていた建築雑誌"GA houses 83"。
何の気もなしに手にとってぱらぱらとページをめくる。

その時、1枚の写真に目がいった。いき過ぎてしまったページを数ページめくり戻し、まじまじとその写真を見る。

そこには、何処かの丘から見下ろした構図で見開き1ページに全貌が収ってしまいそうなくらいの小さな島が写っていた。
周辺の海面には小さな船がぷかぷかと何船も浮かんでいる。
その小さな島には淡いパステル調の家々が建ち並んでいて、暖かな光を浴びてとても気持ち良さそうに、まるで島全体が植物のようにゆっくりと息をしているようだった。静寂でいて、それでいて圧倒的な存在感があった。

ページの左上には、
白い文で"Procida,campania,italy"と書かれていた。

その日、天気が悪くてどこかふさぎ込んでいたこともあったのかもしれない。

だから余計に写真の中の眩しいくらいのその光が、気になってしまったのかもしれない。

とにもかくにも、一瞬にして心を奪われてしまったのだ。

当時の私にとってはかなり背伸びをした値段だったけれど、こんな日もあろうかと貯めておいたお年玉袋から3千円をひっぱりだして、すぐにレジに向かった。


家に帰って、じっとずっと写真を見ても飽きることがなかった。二川幸夫氏が写真を撮って文章を書いて、鈴木恂氏がスケッチした図が添えられた、6ページほどの特集。時々そっと手に取って、眺めたりしていた。私とこの島は何の関係もないのに、何故だかこの特集を見るといつも心が穏やかになった。そうして、私は今まで何度救われただろうか。
たとえ他の本をしかたなく手放したとしても、この本だけは手放したくないと10年たった今でも思う。

そう、とうとうやって来たのだ。
イタリアの小さな島、プローチダへ。






あそこに見えるのが、
ずっとずっと夢見てた島。


:


海の見える小さなアパートを借りて、少しだけこの島を見てまわろうと思う。


H.

2015.2.21 sat
NapoliからProcidaへ向かうCAREMARのフェリーにて

Wednesday 25 March 2015

letter.19 速く過ぎ去ってゆく



ナポリは全てが、"速い"と思う。










今、私はベットが8つある相部屋に泊まっている。

アルゼンチン、イギリス、オーストラリア、トルコ、ナポリ、フィンランド、ブラジル、そして、日本。と偶然にも全て異なる国籍である。

ベッドのキャンセル待ちが出るくらいに人でいっぱい。コモンルームでは爆音で音楽が流れていて、とても賑やかで、皆 夜遅くまでお酒を飲みながら話している。

ルーレオの時は会話も爽やかに挨拶程度、相部屋の皆は朝は5時30分起床、夜は9時30分就寝で、全ての環境が異なるので、なんだかスムーズに過ごすことが出来ない。


:


部屋でお互いの国の言葉の話になって、イギリスの女の子がイタリア語はとても難しいと言っていた。発音もそうだけれど、何よりも速すぎると。
それはナポリの人も自覚していた。(ちなみに地域により言葉も異なりイタリア人同士でも理解出来ず、ナポリはナポリ語の辞書もあるそう)


:


話言葉もそうだけれど、行動も速い速い。先回りされる。

ホステルに行きチェックインをした時、ナポリ市内の地図や安くて美味しいピザ屋さんなど聞いてみようと思ったら聞く前に全てを先に言われてしまった。ひと通り教えてくれた後に、


『"何か質問は?"』


「"ないです"」


もう、そう答える他になかった。


:


そしてナポリに来たならばBar (バール)へと思い、街中を歩いてBarを見つけては中を覗いてみる。お客さんで賑わっていて、マシーンがピカピカに磨かれている所が良いお店ということで、そんなお店に入ってみた。

1杯のエスプレッソを頼んで飲もうとすると、次々にお客さんが入って来る。そして同じくエスプレッソを注文して、クイックイックイッと3回ほどで飲み干して、お会計をして、『Ciao ! (じゃぁね) 』と言ってお店を後にする。私がひと口も飲んでいない間に。


お店を閉めるその準備も早い。
閉める15分前にはレシートを出していて10分前には閉めたいという気持ちが伝わってくるくらい。
ただナポリのピザ屋さんで働いている女性は"ナポリの人はお店を閉める時間でもお客さんが来たら入れちゃう"と言っていたので、たまたま私が行ったお店数件がそうだっただけかもしれない。

それでも、全てが速く感じる。
特に北スウェーデンから来たから余計にそう思のかもしれないけれど。
あれよあれよと流されて立ち止まることすら出来ないのに、流れの速さに追い付けてもいない。

:

滞在2日目の現在。
ピザの美味しさと安さと、そのことにやっぱり私はまだ驚いている。


H.

2015.2.20 fri.
ホステルのベッドの中にて

Sunday 22 March 2015

letter.18 時差は "0"






飛行機を降りた瞬間、全く別の世界へと来てしまったのだと感じた。

タラップを降りて、ひと呼吸。
空気に においがある。そして上着を脱ぎたくなるほど暑く、アスファルトに反射する光がとても眩しかった。


:


市内に向かうバスの中。
目にしたものは、乱暴で無秩序に走る車、ペンキが剥がれ落ちた壁、開放的なベランダ、太陽の光を惜しみなく浴びている洗濯物、ゴミが散乱した地面。それから、街中に響く車のクラクション。

どれをとっても、ルーレオのそれとは違っていた。


:


『ブォンジョールノ!(こんにちは)』

すれ違い様に、おじさんに笑顔でそう言われた。

そう、私がやって来たのはイタリア・ナポリである。

スウェーデンとは180度異なる世界。音のないような世界にずっといたから、ナポリの音が妙に大きく聞こえる。目まぐるしく、忙しくて、全てが速い。

陸路での徐々に世界が変わっていく様を見れるのも面白いけれど、こうして飛行機で一気にトリップをしてみるのも面白いかもしれない。

世界は平等に時間が流れているはずなのに、どうしてこんなに違うのか。分かっていても、ただただ驚くばかりである。


H.

2015.2.19 Thu
港近くのホステル 窓辺にて

Friday 20 March 2015

letter.17 リトライ?ストックホルム!再び



午前11時にルーレオを発って、1時間20分ほどでストックホルムに到着する。列車では13時間かかったのに、あっという間。

:

さて、次の目的地へはイスタンブールで1泊してから…向かうはずだったけれど、どうやらそのイスタンブール行きのフライトがキャンセルになってしまったようだった。
しばらく何が原因か分からなかった。

トルコ航空のオフィスカウンターには長蛇の列。取り敢えず私も並んでみるけれど、なかなか列が進まない。

よくよく耳を澄ましてみると、キャンセルの理由はイスタンブールの悪天候が理由とのこと。

:

ようやく自分の番がきてチケットを変えることが出来たのは、丁度出発時刻の午後5時20分だった。

トルコ航空が用意してくれたホテルで  1泊することとなり、落ち着いたのは夜の7時頃。(夕食朝食付きで立派なホテルにドギマギする)

明日は早朝出発のフライト。

結局、3度目の正直ならず。
ストックホルムではいつも待ちぼうけ。

いつか必ず、ゆっくりと観光を。
その時は暖かい格好をして。
もしくは暖かい時期に。




p.s.
ストックホルムのアーランダ空港で職員の人の移動がキックスケートだった。真顔でキックスケートを滑らせる姿が良かった。


Tack så mycket .
Hej då .


H.


2015.2.18 wed
hotel arlanda room355にて

Wednesday 18 March 2015

letter.16 そうして好きになる





じわじわと、じわじわと好きになる。そんな場所かもしれない、スウェーデンは。

色々な所へ行くと、その土地に着いた瞬間に、"あ、この街がきっと好きになる"と思ったりする。その時の気候が大きく関係していると思うけれど、南米のアルゼンチンやチリは、まさにそれに当てはまった。

スウェーデンの第一印象は、実はそんなに惹きつけられるような強い印象はなかった。
ただ、ほのかに、微かに、引っ掛かるものがあった気がする。

ほんのしばらく滞在して、些細だけれど良いと思うことが毎日少しずつ積み重なって、そうして好きになっていった。

上手く言えないけれど、クラスメートの中に必ず1人は居るような、真面目で、目立つ存在ではないのに皆に認められていて、人当たりが良く、きっとその人のことを嫌いな人なんていないんじゃかいかと思うような人。スウェーデンはそんな感じの存在に似ている。



:



5年前、
私を泊めてくれたチャンさんは残念そうに私に言った。

『"今はオフシーズンだから、ルーレオはあまり良くないの"』

それでも、澄んだ空気や太陽に反射して光る雪、世界の果てのような海と空は私にとっては十分すぎるほどに魅力的だった。

私はその景色をもう1度見たくて、再び訪れたくらいなのだから。


そしてやっぱり、美しかった。


1日に1度は必ず美しい瞬間に出会い、私はしみじみ涙した。


:


私の好きなルーレオの写真を数枚。












ホステルの周りを少しだけ散歩したら、今日は見事な朝焼けが見れた。
そして、あの淡い空の色も。それは私の記憶するルーレオの色そのものだった。


:


朝ごはんにコーヒーと温めたシナモンロールをホステルのキッチンで食べて、ルーレオ空港へ向かった。



H.

2015.2.18 wed
Luleå airport Gate5 にて