Monday 21 December 2015

letter.79 中国 西の果てカシュガル




6年前の初めての1人旅で、1番行きたかった場所。それは中国の西の果てカシュガル。
本のいち部にモノクロの小さな写真とともにカシュガルのことが書かれていて、単純ながらも中国にこんな場所があるのかといってみたくなったのだ。
カシュガルといえば去年もテロがあって、私も慎重になりながらやって来た。

:

まだあったもの。壊されて新しくなったもの。季節のせいか、随分と賑やか。

どうしても、また来たかった場所。
西からも東からも、どこから向かっても、遠い場所。


H.

2015.5.29.fri
kashgarにて

Sunday 20 December 2015

letter.78 いつかの場所からあの場所へ



ほんの少し空が明るくなり始めた朝5時30分に宿を出る。日中は日差しが強くジリジリと暑いけれど、早朝はさすがに肌寒い。

:

手配してもらった乗り合いタクシーに乗って荷物を詰める。
一緒に国境を越えるのは、ウィグル男性3人、キルギス女性2人、キルギス男性1人。たくさんの荷物を車に乗せて出発。



緑の高原の中を車は走る。そしてやっぱり遭遇するのは動物の群れ。初めはヤギ、その次は馬、牛、何度か行く手を阻む。
ビシュケクで見かけたポストカードの写真にも使われていたので、キルギスならではの光景なのかもしれない。




うとうとして、ふと目がさめるとあたりは一面白い世界。まだ雪が残る山の中を車は走っていたのだ。残念ながら車の窓には黒いスモークがかけられていたので、写真は撮れず。目に焼き付けた。

10時頃、ぽつんと小さな小さな掘建小屋が見えた。まさかここが出国場所なのかと思ったら検問所だった。
全員のパスポートナンバーを控えたら、また車に乗る。

くねくねとした山道を走って、出国手続き場所へ。




詳しく荷物の検査をされるのかと身構えていたら、あっけなくスタンプを押してくれ無事出国。係りの人は、こんにちはとありがとうを日本語で言ってにっこりと微笑んだ。なので私もキルギス語のありがとうを言ってにっこり微笑んでその場を後にした。
時刻はちょうど12時。

キルギスの警察や公務員は、腐っているだとか、あまり良い噂を聞かなかったので、ちょっと拍子抜けした滞在だった。
不思議でなんだかつかめない国だった。いつかの今度は自然を見に。

:

国境を出たところで、皆の荷物を下ろす。ここでドライバーさんとはお別れ。中国側のボーダーで次のドライバーさんが待っているとのこと。言葉が分からない私に、ドライバーさんは他の人に念入りにそのことを伝えてくれて、大丈夫だからと言ってくれる。そしてバイバイと去っ言った。ありがたい。とても強面なおじさん(ごめんなさい)だったけれど、最後までとても親切だった。

:

さて、すぐに中国の国境へ。
とはいかず、休憩時間のようで2時間ほど、私たちも休憩。
朝が早かったので荷物に寄りかかりお昼寝。









14時、休憩時間が終わったようで私たちと同じように国境を1台のトラックがこちらに向かって走ってきた。

すかさず、キルギスのおじさんがヒッチハイク。私の重い重い荷物をひょいっと乗っけて、見上げるほどの大きな大きなトラックに二人で乗り込む。

坂を上って、トラックを降りて荷物検査。もうそこは中国だった。
キルギスとは違い、途端に乾いた土地が広がる。



そこでさらに待機。
今度は中国側のドライバーさんがやって決て、車に荷物を乗せる。

1時間ほどで入国手続き場所に到着。
荷物検査は、トマトとキュウリとゆで卵(オーナーさんがこしらえてくれたのに…)を没収された位だった。

:

ようやく全てが終わって出発したのは、5時。
ウィグルのお兄さんたちとはここでお別れ、お礼を言ってさよならを言った。

それからキルギス人の親子ともお別れ。

車に乗っていると見覚えのある景色と音とにおいに、嬉しくなる。
宿に到着したのは、夜9時。




5年ぶりのカシュガル。
とても長い1日だった。


H.

2015.6.11.thur.
kashgarにて

Thursday 17 December 2015

letter.77 中央アジアの終わり





キルギスという国を知ったのは、5年前の中国のカシュガルで、だった。

:

初めての旅で中国の北京から列車でカシュガルへとやって来た私は、宿で出会った日本人の男性と仲良くなった。というよりは本当に旅行初心者だったので色々とお世話になったと言った方が正しい。

3日後の早朝にここを発って次の場所へと行ってしまうそうで、2日間街を案内して貰って、おまけにチケットの買い方も教えてくれた。

そう、その男性の次の目的地が、キルギスだったのだ。

その当時、私の頭の中には中央アジアはなかった。というのも、私自身その土地に赴かないとどうしても頭の中で地図が描けないのだ。

だから、キルギスはいつか行ってみたいと思ったていた場所。
今回は、その"いつか行きたいと思っていた未知の場所"から、"懐かしの場所"へ行く。

:

そんなキルギス・オシュから中国・カシュガル間の移動手段なのだけれど、カシュガルからキルギスへの情報はあっても、逆はなかなか見つからない。国際バスの曜日の情報も曖昧。

人を募ってタクシーを乗り継いで行く方法が一番安いけれど、キルギスからカシュガルへ行く人は残念ながら見当たらなかった。ホステルに居たほとんどの人が、カシュガルから来た旅行者だった。

オーナーに聞いてみると運良く、明日出発する乗り合いタクシーを手配できるとのこと。国際バスよりも安い。"国際バスにも乗ってみたかったな"とぼんやりと考えていたら、値引きをしてくれたので、乗り合いタクシーを選択。

:

カシュガルへの道がはっきりと見えたので、ほっとして街に出かける。






長かったキルギスも今日で終わり。
明日はいよいよ中国へ。


H.
2015.5.28.thur.
Osh hostelにて





Wednesday 16 December 2015

letter.76 曇 雪 雨 晴


天気は曇り時々晴れ。
朝9時に、キルギスのオシュへ向かう乗り合いタクシーに乗り込む。




バザールで乗り合い客を待ち、10時30分にようやく出発する。

一緒に向かうは、3人の男の子、おじさん1人、おばあちゃん1人。
途中で女の子も1人加わって。

:


走り始めて2時間ほど経った頃、あたりは次第に緑が多くなる。
そして、くねくねと曲がる山あいを登る途中、馬たちが車の前を占したりする。

時々うとうとと眠ってしまう。
寒さで目をさますと、雪が残る山間を抜けていたところだった。山頂の方では雪も降っていた。







120キロの猛スピードで田園を抜け、湖の側を通り抜ける。速い乗り物が苦手で、しかも車が古かったので、ハラハラしながらじっと座っていた。




夜10時、無事にオシュへと到着した。
ビシュケクの宿と、オシュの宿は提携していて、到着した場所にはゲストハウスのオーナーが待ってくれていた。
とても分かりずらい場所にあると聞いていたので助かった。(実際に、ゲストハウスは団地のひと部屋で、夜に1人では絶対にたどり着けないような分かりずらい場所だった)

旅行者で賑わうホステルの中、シャワーを浴びて、すぐにベッドに入った。

曇りも晴れも、雪も雨も、暑さも寒さも体験したとても忙しい1日だった。


H.
2015.5.26.tue.
BishkekからOshへ向かう途中にて


Tuesday 15 December 2015

letter.75 ドラマチックなことはそうそう起こらない


ビシュケクにはなんだかんだで、半月居た。
ドラマチックなことは何ひとつ起こらなかったけれど、それはそれで良かった。

そんなビシュケクの写真を数枚。










:




西日が当たるホステルのキッチンで、いつも紅茶を飲んでいた。
とても好きな空間だった。


H.

2015.5.25.mon.
Bishkek hostel にて

Monday 14 December 2015

letter.74 食べているおやつのこと


食後におやつを食べるのが、ちょっとした楽しみである。



スーパーではクッキー、チョコレートなどの量り売りがある。
湿気ってしまって味はいまいちだけれど、見た目は抜群にかわいい、パンクッキー。



道場にあるポップコーン屋さんで購入。気軽にポイポイと食べれる。




イチゴのケーキ。
程よい甘さ。半分食べて、残りは明日に。無造作にただのビニール袋に入れてくれたのが、良い。



キルギスもアイスクリームが安くて、種類が豊富。

旅の間だけは、食べるんだ、と言って毎日よく食べている。その分きちんと歩くのも忘れない。


日々、おいしいおやつ。


H.

2015.5.24.sun.
Bishkek hostel にて


Thursday 10 December 2015

letter.73 食べているごはんのこと





愛しのジャッキーが何故がこちらに。
右奥はファーストフード屋さんが数件並んでいる。


:


キルギスのご飯は肉を盛り込んだものが多い。



中央アジア周辺の名物料理、ラグメン。日本の焼うどんに少し似ている。



写真を見て注文したけれど、全然別物が出てきたもの。シチューのようで美味しかったので、結果オーライ。

:

よく食べていたのは、ピロシキたち。
これはサムサ。



中に羊肉と玉ネギが入っていて、11時頃にお店に行くと、焼きたてを食べることが出来る。
ひと口食べると、ジュワッと熱々の肉汁が溢れでる。これで60円ほど。
美味しいし、お店のお姉さんは優しくて美人なので、よく食べに行っていた。



これもよく食べていた、似たようなパン。



これは、肉まんを揚げたようなもの。
初めは揚げる前のものを見ていたから、指を指して、"あれをください"と言って、出てきたものがこれだったので、びっくり。でも美味しかったので、これも結果オーライ。



食堂のスープ。
どこか中国っぽい。



スーパーのお惣菜コーナーで見つけたもの。どこか韓国っぽい。

:

外食に挑戦するのはお昼ごはんくらいで、他はホステルのキッチンを使ってサラダやスープを作って食べている。





日々、おいしいごはん。


H.

2015.5.23.sat.
Bishkek hostel にて





letter.72 必要なものはどれ?





"10時にオフィスの前に来てね"と言われていたので、時間より少し前にオフィスの前に到着。

時間になっても、誰もこない。

30分後、一番最初に対応をしてくれた女性が来た。

"ビザ?"
と聞かれたので、"ええ"と答えると、
"14時にまた来てね"と言われる。

:

4時間潰し、ふたたびオフィスへ。
ビザがきちんと取れているかドキドキしながら中へ。

すると、"問題がある"とまず言われた。やっぱり駄目だったのか、とがっくりしていたら、ビザはとれたようで、問題は別のところにあったそうだった。

なんと、滞在登録がされていないというのだ。滞在登録は入国して1週間以内にしなけれぼならない。私は1週間はゆうに過ぎている。なので、罰金を払うか登録をしにいくかしなければならないと。しかも罰金は1万ソム。約2万円である。今の私にとってかなりの大金で、ふわっと頭が真っ白になる。

"登録するにはどこへ行けば?"と聞いたら一緒に行ってくれるという。

滞在登録ができるパスポートセンターなるところに向かう途中。去っていく2万円のことを思った。
良い勉強代だと思えば良いと何度も頭の中で繰り返してみたものの、やっぱり2万円は大きい。

ガイドブックを読んだ時には、"キルギスでは必要がない"と書かれていたけれど、もしかしたら変更されたのかもしれない。滞在登録があったとしても、宿のオーナーがやってくれるものとばかり思っていたので、存在をそっくり忘れていた。

期待をこめつつ、インターネットで調べると、やっぱり60日以内は必要無いとのこと。
良かった。おかえりなさい、2万円。

そんなこんなで無事にビザをゲット。
それにしても、あんないい加減な書類でビザを、ゲット出来るのならば、個人で直接申請する人たちの条件の厳しさって一体何なのだろうなんて思ってしまった。

でも無事に中国を長く旅できること、今はそれがとても嬉しい。


H.

2015.5.22.fri.
Bishkekにて

Wednesday 9 December 2015

letter.71 ビシュケクのことを少し





ビシュケクは首都であるけれど、これといって特に目立つものはない、と思う。

ビシュケクでビザ待ちをする人に聞くと、みんな2.3日は近くの湖へ出かけるようで。

"ビシュケクには1ヶ月近くは滞在する予定"と言うと、みんな、"えぇっ"という顔をしたけれど、私はわりと好きな場所だったりする。










雨が降るとよく停電が起こるけれど。ごはんも美味しい。

アイスも美味しい。(これは重要)

H.

2015.5.21.thur.
Bishkekにて

Tuesday 8 December 2015

letter.70 20時、アパート7階から見たもの










20時。
午前中は晴れていたものの、急に風が強くなり、灰色の雲がやってきて雨が降ってきた。
幸い私はあめふる一歩手前で宿に着き、部屋の窓を開けた瞬間にはザーザーと激しい雨が降っていた。

ふと、外に目をやると虹が出来ていた。

アパートの7階、ぼんやりと空を眺めてる日々。

H.
2015.5.19.tue.
Bishkekにて

Monday 7 December 2015

letter.69 謎のビザ取り





キルギスはほとんどの人がノービザで入国できて、そのうえ物価も安いので周辺国のビザをゲットしにやって来る旅行者が多い。かく言う私もその一人で、中国のビザを取得する為にやって来た。

日本でもそうだけれど大使館で個人で取得するのは難しいようなので、旅行代理店を通して取得することに。

宿のオーナーに聞いても詳しいことは分からないとのことで、手当たり次第に旅行代理店をあたって行くことにした。

旅行代理店1軒目、中国大使館に電話をしてくれ申請に必要な書類を教えてくれる。けれどそれらは私には用意出来ないものであったし、代理申請をして欲しかったのでお礼だけ言って代理店を後にする。

旅行代理店2軒目、今はこの代理店では取得は出来無いとのこと。ウズベキスタンに旅行予定は無いか聞かれ、無いと答えるとウズベキスタンだともっと申請がしやすいと言われる。

どちらも女性が対応してくれて、とても丁寧で優しかった。
とにかく取得が難しいことは分かった。とりあえずお昼ご飯を食べて、今後の事を考えることに。幸い、日本人は、ビザ無しで2週間は中国を旅行ができる。

:


お昼ご飯を食べて、ひとまずホステルに戻って、取得について調べようと帰路に着く。すると、もう1軒、旅行代理店を見つける。そこには"VISA"の文字。ダメで元々と思いながら、中に入って受付のお姉さんに聞いてみると、どこかに電話をした後、こちらを見て"可能よ"のこと。
インビテーション(招待状)を制作してくれるとのことで、インビテーションが50ドル、ビザ代が160ドルとのことだった。日本では4千円ほどで取得出来るのでかなり高いけれど、以前聞いていた値段通りであったし、選択肢はなかった。

:

そして金曜日の今日、代理店の人と待ち合わせして、中国大使館へ向かう。
待ち合わせ時間から15分過ぎた9時
突然日本語で"はるかさんですか?"と聞かれる。突然の日本語に驚いて、頷いた後、挨拶。
日本語を少し話すその女性、ジャズグラさんと中国大使館へ。


:

行ってみるとすでに20人は並んでいる。それでも押し合いへし合いは全くなく、名簿に名前を書いて順に中へ入っていくといったとてもスムーズなものだった。
1時間ほど待ってようやく自分も中へ。
持って来た申請用紙に誤りがあったので、書き直していたら、別のキルギス人の男性がやって来て、私のまだ描き途中の申請書をさっと奪い、家族欄のところにサラサラっと私の家族ではない名前を記入して、申請書の全ての項目を埋めた。
ジャズグラさんを見ると、"大丈夫です"
とにっこり微笑んだので、そのまま提出することにした。

ドキドキしながら受付へ行くと、担当者が申請用紙を指差して、

『コレハナンデスカ?』

と日本語で聞いてきて、はははと笑った。そして、そのまままにこやかに"OK  !"と言って申請は終了した。

本当にこれでビザが取得出来るのか謎である。それでも、いちかばちか、かけてみることにする。

結果は、来週の金曜日。


H.

2015.5.15
Bishkekにて

Sunday 6 December 2015

letter.68 速やかに国境越え





2日間体がだるく咳もひどかった。
声もほとんど出ず、少しだけバザールを見に行った後はひたすら眠った。
そのおかげが今朝目覚めたらいくらか良くなっていた。

:

先日宿で出会った、ここに住んでいるという男の子が何度もビシュケクに行っていて、バスターミナルまで送ってくれるというので、ありがたくお言葉に甘えることにした。

ほとんどがロシア語か現地の言葉なので、英語はほぼ通じない。その上、病み上がりで体も本調子ではないから、とてもありがたかった。

そして、乗り合いバスで一緒になった子たちも、宿まで運んでくれて。なんの苦労もせず、バスターミナルへ着き、国境を越え、宿へ到着したのだった、
こんな穏やかな国境越えなんて、とても久しぶりかもしれない。

:

ここもまた緑の多い場所。



H.
2015.5.10.