Monday 30 November 2015
Tuesday 17 November 2015
letter.65 美しさって何だろう?
グルジアには本当にモデルさんの様な綺麗な女性が多い。身長はそれほど高くなく、痩せ型でファッションを楽しんでいる人が多い。みんな、凛としてしている。
そんな人があっちこっちにいるものだから、視線もついつい、あっちこっちときょろきょろ。
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そういえば、グルジアに入国する際の面接官の女性もお人形さんのように、びっくりする位に美しかった。
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雨が降ったので、ぼんやりと外を見ながらそのことについて考えていた。
世界中どこでも、電車の中やバスの中、ふとした時に私は女性の顔を眺めたりする。(もちろん、じろじろと分かりやすく見たりはしない)
自然とその人の美しいところを探していたりする。例えば、この人は鼻筋が通っているだとか、肌がきれいだなだとか、唇の形だとか、お化粧の仕方だとか、骨格だとか、手入れされた髪だとか。
美しさは内面から出るということばがよくあるように、色々な人を見ていると、本当にそうだなと思えてくる。もちろん一目見ただけではその人の内面なんて知ることはできないけれど。滲み出ているのは確か。
顔立ちが整っている人だけが美しいのか、と問われるとそうではない。
都会のファッショナブルな女性だけが美しいのか、と問われてもそうでもない。
お金をかけている人だけが美しいのか、もそうではない。
何か内に秘めたその人だけのものがあるのだろう。幸福や葛藤や不安がぎゅと詰まった何か。
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話はグルジアに戻って。
トビリシではあちこちでお花が売られていて、そのお花を女の人が持って歩いているのを見かける。
それから、教会が多くてみんな教会の前を通る時には、胸の前で十字を切って祈っている。
その姿がとても美しいと思うのです。
H.
2015.5.2.
Tobilisiにて
Tuesday 10 November 2015
letter.63 グルグルグルグルグルジア
あいにくの曇り空、ちょっと遅めにホステルを出発する。
昨夜ホステルのオーナーさんに、大きなスーパーマーケットの場所を教えてもらったので、散歩がてら向かうことにした。
冒頭で、あいにくの と書いたけれど、曇りの日の方が涼しくて歩きやすい。
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スーパーは思っていたよりも、品揃えが良かった。例えば、肌が乾燥するのでベビーオイルを探していたのだけれどトルコではどこを探しても大きいサイズのものしか置いていなかった。それでもここには、小中大と全てのサイズが置いてあった。
マヨネーズも瓶のものではなく、チューブ型のものがあったり。
トルコではお茶の文化があるからか、クッキーとグラスやカップの品揃えがとても豊富だったけれど、ここはお酒大国。お酒とおつまみの種類が豊富だった。そして、輸入ものもロシアからのものが目立つ。
ビールの種類の多さに思わず、飲めもしないビールを買ってしまった。
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サラダを食べてビールを飲んだら、グルグルと目が回って、眠ってしまった、午後6時。
p.s.
グルジアの硬貨はとても可愛い。
H.
2015.4.30.thu.
Tbilisiにて
Saturday 7 November 2015
letter.62 Tbilisi lovers me
午後20時20分、バスは20分遅れでトラブゾンのバスターミナルを出発した。
目指すはグルジア(ジョージア)の首都、トビリシ。
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出発して3時間ほど経って、係りのお姉さんが乗客1人1人に何かを言っている。私には"トルコ語話せる?"とトルコ語で聞いてきたので、私が首を横に降ると、お姉さんは特に返事をするわけでも相槌をするわけでもなく、無表情のまま、また順々に別の乗客に何かを言っていた。
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トルコとグルジアの国境に到着したのは深夜。バスを降りるとみんな一斉に走った。なんだろうと、私も吊られて小走りに。実はこれ、早く済ませたいが為だけに走るのだった。周りのおばさん達にもまれながらも、私もなんとか出国手続きを終える。
外へ出ると、バスのお姉さんが私を待ってくれていた。
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グルジアの入国審査で少しだけ手間取りながらも、無事入国。(他の場所でもそうだけれど、外国人はちょっと待たされたりする)
看板の文字も異なり、顔立ちもロシアの方に近かった。陸路で国境を越えることは今まで何度も経験していたけれど、国境を一歩越えるだけでこんなに異なっていたのは初めてだった。
国境を越えて少し走ると、もう日が昇り始めて街を照らし出していた。緑が多くて美しい街だと思った。
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バスターミナルに着いて、バスを降りる時、お姉さんに"ありがとう"と"さようなら"を言うとお姉さんはにっこりと微笑んだ。
色々な人に尋ねて10番のマルシュートカ(乗り合いバス)を見つけるも、通学時間帯のせいか人でぎゅうぎゅう。ゆうに人を乗せられる限界を超えているけれど、私がギリギリ乗れるくらいのスペースだけはあったので、急いで乗り込み、フロントガラスに背を向け中腰に。我ながらなんという格好。
広場で降ろしてもらい、宿へ向かうも、見当たらない。
スクリーンショットを撮っていた地図を確かめようとiPhoneを開く。すると道端なのにWiFiがつながる。つながったネットワーク先を見ると"Tbilisi loves you"。なんて素敵。そのおかげで自分がどこにいるか分かった。そして、無事にホステルを見つける。(今回ばかりは方向音痴が原因ではなく看板も目印も何も無かったのだ)
真夜中の国境越え。1日はとてもとても長い、といつも感じる。
今日とても良かったことは、国境越えでもバスターミナルでも親切な人にたくさん会ったこと。
覚えたての言葉、"グマトロブト(ありがとう)"を言うと、みんなほんの少し驚いた顔をして、それからにっこりと微笑んだ。
交通はクレイジーだけれど、緑が多くて心地良い。きっと好きになる場所。
p.s.
現在グルジアの正式名称はジョージアなのだけれど、私の中ではやっぱりグルジアはグルジアなのでそう呼ばせて頂くことにする。
H.
2015.4.29.wed.
Tbilisiにて
Friday 6 November 2015
Thursday 5 November 2015
letter.60トルコ最終地へ
すでにバスは黒海のすぐ横を走っていた。
まだ日は昇っていなくて辺りは暗かったけれど、海の側特有の開放的な道路ですぐにどこを走っているのかが分かった。
何度か うとうととしながらの午前8時。眠気まなこのまま到着したのは、トラブゾンという街。ここが私のトルコの旅、最終地。
チェックイン前だけれど、ホテルのスタッフさんが"朝食を食べていいよ"と言ってくれたのでチャイと一緒にありがたく頂く。
香り高いチャイに目が覚めて、少しだけ街を散策。日曜日だからか、海の近くだからか、穏やかな空気が流れている。
と思っていたら、一度ホテルに戻ってお昼過ぎに外に出てみると雰囲気はガラッと変わって、とても賑わっていた。
少しだけ歩いて、簡単にごはんを食べてホテルに戻る。
その間、ギョレメ村の工房のことを思い出していた。道行く人があの2人に見える。
ほんの少し、しとしとと 涙しながら眠りに落ちた。
H.
2015.4.26.sun.
Trabzonにて
Tuesday 3 November 2015
letter.59 神のみぞ知る
早朝、パジャマの上に暖かなダウンを羽織って屋上へ出た。
村は朝日でオレンジに染まり、澄んだ空には大きな気球がボゥボゥと火の音をたててフカフカと浮かんでいた。
晴れると分かった、気持ちの良い、清々しい、とても素敵な朝だった。
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半袖の人もいるくらいに気温が上がり、村を歩く人はみんなドンドゥルマ(アイスクリーム)を食べている。私たちも、シィディカさんが買ってきたベリーのドンドゥルマを外でのんびりと食べた。
いつもと変わらないゆったりとした時間が流れる。
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夕方、スィディカさんが散歩に誘ってくれ、スーパーに寄ってジュースを買ってくれて、村周辺に連れ出してくれた。ゆっくりと緩やかに散歩をした。夕方にもいくつかの気球が浮かんでいた。
実はここに来て2度目までは、彼女とはそんなに話をしたりはしなかった。それでも今回たくさん話かけてくれたのは彼女で、昨夜も遅くまでお店に居たがったのも、彼女だった。私は単純に嬉しかった。
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出発は20時15分なので、19時45分頃に、1度バスターミナルへ行き荷物を預けて、また工房へ戻った。
ラマザンさんがカップをラッピングしていたので、手伝った。話しかけてくれたけれど、私は目を合わせることが出来なかった。
ラッピングを終えた時、ラマザンさんはじっと私の顔を見た。必然的に私は目を合わせるしかなかった。
『Haruka,Everything ok?(はるか、全て大丈夫?)』
「Ok(大丈夫)」
『Problem yok?(問題は無い?)』
「problem...」と言ったところで、ポロポロと涙が出てきてしまった。しいには嗚咽まで。
1人で旅行をしていて、誰かと別れる時。私はできるだけ人前では泣かないようにしている。相手が困ってしまうだろうし、シリアスな空気になりたくないので、1人になった時にこっそりと涙する。
それでも今回は駄目だった。
お店がなくなってしまうことが、1番の理由だったかもしれない。
次来た時には、ここはカフェになっているかもしれないし、お土産屋さん、あるいは旅行会社になっているかもしれない。
もう2度とこの空間には来ることが出来ないのだ。
皆にありがとうと、お別れを言った。
ぎゅっと握手をして、ぎゅっとハグをして、バスに乗った。1番最後にこのバスに乗り込んだ乗客は私で、係員が乗った後にすぐにバスは走り出した。私は手を振った。たった一瞬の出来事だった。
バスはほとんど満席だったのに、1番後ろの2席だけは空いていて、私はそこに座ってボロボロと泣いた。そして、バスに乗る前のラマザンさんとの会話を思い返していた。
"きっとまたすぐ来ると思う"と言った私に、彼は天を指差しながら5年前と同じことを言った。
"インシャラー (神のみぞ、知る)"
H.
2015.4.25.sat.
Göremeにて
letter. 58 さよならは明日
私が来た時は半袖でも良いくらいの暑さだったのに、ぐんぐんとみるみるうちに気温が下がっていって、先日のお昼過ぎには雪が降った。
ところが一転、今日は雲ひとつない青空。そんな中、今日も工房へ向かう。
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チャイを飲んでいる時、スィディカさんに、
"いつまでここに?"
と思い出したように聞いてきた。
"今日言おうと思っていたけれど、実は明日なの"
と私は答えた。実はここへ来る前にバス会社でチケットを購入していたのだ。それでもなかなか言えなかった。
彼女は驚いて、ちょうど工房に戻ってきたラマザンさんに、明日ここを去るんだってと伝えた。
ラマザンさんは分かっていたように、黙って、うん、と1度だけ頷いた。
たった1週間の滞在は、あっという間。思ったよりも日程がぎゅっとなってしまっていて、ものすごく駆け足になってしまった。
明日、明日。
明日は、さよなら。
H.
2015.4.24.fri.
Göremeにて
Monday 2 November 2015
letter.57 おいしいごはんをみんなで
掃除などのお手伝いをする代わりに、ごはんとチャイをごちそうになっている。(思えば日本でも同じようなことをしている)
私も作り方を学びながらお手伝い。
トルコ料理の基本は、トマトと玉ねぎ。味付けもトマトのペーストを使用する。お母さんの料理だからかもしれないけれど、どの料理もトマトペーストと塩で味付け。
野菜が基本だけれど、油はかなり多め。びっくりするほど多め。
それでも、トマトとキュウリ、玉ねぎのサラダは欠かしていないのできっとそれでバランスを取っているのだと思う。
パンは大きな大きなバケット1つ0.85リラ。日本円で50円と少し。3つ買って3リラ渡してもおつりがくる。
そのパンと一緒に頂く。
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お腹いっぱい食べた後宿に戻ると、宿のオーナーさんが、
『"夕飯食べた?"』
と聞いてきたので
「"はい、今丁度食べてきたところで、お腹いっぱいです"」
と間違いなく答えたはずなのだけれど、オーナーのお兄さんはニッと笑って、
『"母が夕飯作ったんだけど、食べるよね?食べるよね?"』
と聞かれる。これはノーと言えない。
「"はい、喜んで!"」
と笑顔で答える。
頂いてみると、おいしい。マントウと呼ばれるものでラビオリのようなパスタに、オリーブとこまかく刻んだニンニクを混ぜたヨーグルトソースをかけた料理。実はこれは何なろう?と気になってはいたものの、食べなかったもの。
ありがとうございましたとキッチンにいたお母さんに伝えて、食べ終わった食器を洗おうとしたら、
いいのいいの!と、デザートにリンゴとイチゴを出してくれ、お腹がはちきれそうになる。
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日本に居た時はあまり食欲もなく、平日の朝はトマトスープ、お昼はサンドイッチかバナナと豆乳もしくは食べない、夜は野菜と納豆もしくは食べない。とボクサーでも目指しているの?と冗談半分に聞かれるほど食べなかった。
時々、景気付けにインドカレーを食べるくらいで、あまり上手く食べれなかった。
だから良いのだ、旅の間はたくさん食べても。
だって、おいしく食べれるってとても幸せなことだと思う。
H.
2015.4.22.wed.
Göremeにて
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