Saturday 29 October 2016

letter.84 6年前の時間









ウルムチから北京までの窓からの景色は、記憶通りの懐かしさを感じるものだった。

カシュガルからウルムチまでのひたすら荒野を走っていたその景色とは異なり、田園、山、湖、街、と変化する景色は見ていて飽きることは無かった。

寝台ベットは3段になっていて、私はその真ん中の2段目。寝転がりながらも景色を見ることが出来て、偶然取れた席だけれどここで良かったと思った。


:


カシュガルの宿を7時前に出発して、バスを乗り継ぎ列車に乗って4日目の朝9時40分ようやく北京駅に到着。

列車の出発は出発も到着も驚くほどにきっちり予定通りだった。
約70時間の移動は長い移動のように見えて、どちらも寝転がることが出来たので楽な移動だった。問題は間に合うかどうかの緊迫感だけだった。それに中国の列車は本当に大好きなので、何十時間でも乗っていられる。


:

宿についてそうそう散策。(だって午前中についたし、移動もずっと寝ていたから体も全然疲れていないんだもの!)

:

北京は私の初めての1人旅の1番最初の地。
5年前、私は宿の周りに出るのさえ怖かった。ご飯を買うのも出来なかった、自分で切符も買えなかった、そして英語は何ひとつ口から出てこなかった。

自分から一人日本を出たのに、世界から置き去りにされたように1人とても孤独だった。

それでも、確実に濃厚な時間を過ごしていたのは、今よりも6年前の私なのだよなと過去の私を羨ましく思ったのだった。


H.

2015.6.14.sun
Beijingにて

Sunday 14 August 2016

letter.83 死に物狂いの列車移動









カシュガルからウルムチまでの移動を列車ではなくバスにしたのは朝に到着するからだった。

"24時間"確かに窓口の係員女性はそう言ったし、チケットにも書いてくれた。9時50分に出発して24時間。確実に遅れるだろう。それでも、遅れても3時間程度だろうと思っていた。17時37分発のウルムチ駅から北京までの列車のチケットはインターネットで購入してあるので、あとは本券に変えるだけ。13時頃にウルムチに着いていれば余裕はありそう、と思っていた自分にパンチを入れたいと今思う。




朝10時30分頃、街らしき場所に到着。もうすぐかなと思っていたのも虚しく、バスは再び荒れた大地を走る。

最低でも1時には、最低でも2時にはとどんどん時間を変更しながらそんなふうに唱える。ウルムチの標識は出ているのに一向に街らしきものがあらわれない。おまけに何度も何度も検問所があってその度にパスポートや荷物チエック。
午後3時。ついにたえられなくなって、聞いてみるとあと1時間だという。これは間に合うか本当に分からない。
何度か聞いてみても、あと少しだから。と答えが返ってくる。

結局バスターミナルに到着したのは16時20分。それから駅までタクシーで15分。出発時間まで1時間を切っていた。

案の定駅にはごった返す人。絶望的なくらいの混みよう。ざっと200人はいる。

時間がなくて、でもチケットの予約はしていて、と身振り手振りで近くの係員の女の子に伝える。
女の子は分かったわと頷いて、私の腕を引いて並んでいる列の一番最初に行って、チケットを取ってくれた。

そして17時30分。無事に列車に乗車。何度もお礼をいって。本当に感謝。

まだ心臓がバクバクとしているなか、列車は時間通りに出発した。

それにしても、やっぱりいつも中国の人は親切にしてくれる。本当にありがたい。


H.

2015.6.11.thu.-12.fri
urumqiにて



Saturday 13 August 2016

letter.82 バスターミナルはどこ?





午前8時30分。
バスターミナルへ向かう為、荷物をまとめて中庭へ降りる。
すると中国人の四人組も同じく荷物をまとめてこれから出発しようとしているところだった。

彼らもバスターミナルへ向かうとのことなので、よかったら一緒にタクシーをシェアしないか聞いてみると快く承諾してくれた。

いざ出発というところで、問題発生。
バスターミナルは2つあって、彼らと私は違うバスターミナルだったのだ。


実は昨日、バスチケットを買いに行った時も、そのことで翻弄されて、親切な人が車でバスターミナルまで運んでくれてチケットを購入することができたのだった
チケットを買った後、宿のスタッフさんに私が行く方のバスターミナルの名前を教えてもらい、紙に書いてもらった。
けれど、そのバスターミナル名も間違っていたのだった。

そして今、それに気がついた別のスタッフの男の子がそのことを丁寧に教えてくれた。(なんともややこしい話だけれど)

"あまり時間もないのでタクシーで行く"と私が言うと、とても心配をしてくれわざわざバイクを出して私を大通りまで乗せてくれ、それからタクシーを捕まえてくれて値段交渉までしてくれた。
私は何度もお礼を言ってタクシーに乗り込んだ。
姿が見えなくなるまで、見送ってくれていた。ありがとう。

実はこの男の子、日本語がとても堪能で、いつも私を見かけるとにこにこと笑顔で日本語で声をかけてくれていた。お坊さんみたいに坊主で、目がくりくりと大きい可愛らしい男の子だった。
それからいつもニコッと笑う本当にキュートな女の子、しっかりもののお姉さん。素敵な人が集まった宿だった。ありがとう。


さて、バスに乗ってウルムチへ。


H.

2015.6.10.wed.
kashgarにて



Wednesday 10 August 2016

letter.81 バスに乗ってポプラ並木へ





バスに乗って駅へ行くことにした。
駅に用事があったわけではないけれど、もう一度見てみたくなって。でも結局駅には行かなかった。

駅へ向かう途中にポプラ並木を見つけてしまったから。とっさにボタンを押してバスを降りた。

私にとって、スイカとこのポプラの木がカシュガルの印象なのだ。





真ん中に立ってしばらくぼんやりとした。
風の気持ちのよい日だった。


H.

2015.6.7.sun
kashgarにて


Tuesday 9 August 2016

letter.80 風邪、回復





やることを箇条書きにして、はりきって出かけた6月3日。
12時頃に突然、寒気と脱力感に襲われる。すでに注文をしてしまったラグマンを食べた後、すぐにホステルに戻りベットに横たわった。その頃には、体に力が全く入らず、酷い悪寒と頭痛、関節痛。

:

結局ほぼ3日間寝込んでしまった。
2日目は、頭痛というよりも眼球が痛く、"もしかしてシャワーの水からアメーバに侵食されたのか…"とさえ思ってしまったほど。同室の人には本当に申し訳ないと思ったけれど、ずっとベッドに横たわっていた。

夕方、心配をしてくれた宿のスタッフさんが作ってくれたおかゆを食べて、少し元気になる。

:

3日目には回復には向かっていたものの、おかゆ以外は何も食べれなかったので、少し歩いては冷汗が出てふらふらするので結局、宿で横になる。

日本では働くようになったら病院へ行くようにはなったけれど、それまで風邪を引いたくらいでは病院に行く習慣がなく、基本的に自然治癒だった為、なかなか病院へは行かないのであった。捻挫や骨折なんかも。

:

そして、今日ようやく回復。
ゆるりと人民公園へ向かう。
ベンチに座ろうとしたら、丁度同じタイミングで漢族のおばちゃんとぴったりタイミングが重なり、ベンチに一緒に座ることに。

のんびりしていると、おやつをくれる。食べ方が分からなかったフルーツも"こうやって食べるのよ"とジェスチャーで教えてくれる。(後で調べたらマンゴスチンだった!これがあのマンゴスチンか!と興奮)

これ、これ美味しいから!と色々なおやつをくれる。1時間ほどのんびり。時にはうとうとしながら(おばちゃんはぐっすりと眠っていた)。
別れ際ありがとうを言うと、最後にまたおやつをくれるおばちゃん。たくさんたくさん、ありがとう。

:

夕方に散歩をしていたら、玄関前で刺繍をしているウィグル族のお母さんと目があって、お茶をご馳走になる。そうしたらご近所さんもどんどんあちこちから集まってきて。井戸端会議はどの国も一緒。
お礼を言って、写真を撮ってさよならを言った。

ふわふわするような、嬉しい1日だった。




H.

2015.6.6.sat
kashgarにて